今はなき「ひと未来館」で語るなら⑥悲しいことへのまなざし

前回は、防災活動は楽しくないと人が集まらず継続できない、ということをお話しましたが、今回はその逆。悲しいことに対しての共感についてお話します。

防災活動それ自体は楽しく行いたい。けれども、そもそも取り上げてあげているのは「災害」です。つまり、怖いもの、危険が伴うものであり、けして楽しいものではありません。そこが、防災活動の難しいところです。

怖いテーマについて、楽しく取り組む・・・、って無理がありますね(^^;

誰しも恐怖感を味わいたくないし、不便な生活を強いられたくない。そして不幸のどん底にいる人に対して接するのは勇気がいるものです。

わかりやすい例え話をしましょう。ある人が原因不明の病にかかり闘病中だとします。あなたは、その人にどう接しますか?心のなかでどう感じますか?

‵かわいそうに・・・’ ‵だいじょうぶかな’ という優しい気持ちも湧いてくるでしょう。けれど同時に ‵私は健康でよかった。私は病気になりたくない’ とも思うでしょう。

‵あの人みたいに、私は病気になりたくない’ と思うのは自然な気持ちでしょう。けれど、そこには「共感」がありません。

災いに「共感」するとは、こんな感じでしょうか。

‵かわいそうに・・・、私は無事でよかった。でも私も同じ経験をしていたかもしれない。だから、あの人のために何かできることはないだろうか・・・’

この「共感」の気持ち。

防災活動を行う上で必要なものです。

そして、上記の文章を「いじめ」にも置き換えて読んでみてください。

‵あの人みたいに、私はいじめられたくない′ というのは「共感なし」。

‵かわいそうに・・・、私はいじめられずよかった。でも私もいじめられていたかもしれない。だから、あの人のために何かできることはないだろうか・・・’ こちらは「共感」があります。

いじめを解決する取り組みにも、「共感」の気持ちが必要です。そして、闘病中の人に対しても、被災者にたいしても同じく「共感」が必要です。

「共感」がないと、そこに「孤独」がうまれます。

「孤独」はひとを弱らせ死に至らしめる最大の要因です。

病の人、災害にあって辛い思いをしている人、いじめにあっている人・・・「災い」の真っただ中にいる人に「共感」の気持ちをもち向き合いたいものです。勇気がいるかもしれませんが、その人が「孤独」に陥らないように。

明日は、震災を知らない若い人達が「共感」できるようになるか、考えます。

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