活動を始めるまえに

わがまちのH自治会から「自主防災会」をつくりましょう、という動きが起きたのは昨年の春ごろ。防災士の資格をもつ私を中心に組織をつくってはどうか、と自治会長さんが言ってると聞きました。

え!防災士だからといって「自主防災会」の中心になれるのか?? 私がどんな人なのか、みなさん知らないのに?

ということで、まずは私のこと知っていただけたら、と思います。

防災士に何ができる?

防災士の資格取得には半年間かけて行われる12回の講座を受講し、最終回に希望者のみ防災士試験を受けることができます。私は2012年に受講し2013年に防災士(特定非営利活動法人 日本防災士機構)の資格をいただきました。

防災士とはどんな人?防災士にのぞまれていることはなんでしょう。『防災士教本』の最初のページにこう書かれてあります。

防災士とは“自助”“共助”“協働”を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待され、そのための十分な意識と一定の知識・技能を習得したことを、日本防災士機構が認証した人です。

私は、この資格に足りうる人なのだろうか・・・。防災について考えだしたのは25年前、阪神淡路大震災の起きる一年前ごろからです。いろんな体験を経て、今では日々防災を実践していますが・・・。今回の記事は私事のことですのでさらっと読み飛ばしてくださいね!

防災士さいまきが「日々防災」を始めるきっかけは?

私のこれまでを振り返ってみると、災害支援に興味をもち関わったのは1994年の夏でした。兵庫県芦屋市がフィリピンのピナツボ火山噴火による被災地を訪ね交流する青年派遣事業に参加したことから始まります。

被災地支援活動から被災者へ(ピナツボと阪神淡路)

当時24歳だった私は芦屋市の職員らと共に15人ほどでマニラの北西にあるアンヘレス市に向かいました。ピナツボ山の火山灰で町全体が埋もれ、屋根まで積る灰の上に新たに街を再建していました。私たち青年派遣団はコミュニティースクールを建設する現場にて働きました。ブロックを運んだりコンクリートを練ったり、トイレを設置するための穴を掘ったり・・・。地域の子供たちが近寄ってきてくれて歌を歌ったり踊ったり。日本の遊びや折り紙で交流も行いました。

まさか、その半年後1995年1月に今度は自分たちの街が被災するとは思いもよりませんでした。阪神・淡路大震災です。私の住んでいた芦屋市も被災しました。当時のことについては、別の記事にて振り返りますが、私も被災者のひとりとなりました。ライフラインの途絶えた家で余震におびえながら数日を過ごしました。リュックに家族の洗濯ものを背負い阪急電車の線路沿いを歩き大阪へ向かいます。父の職場で洗濯させてもらいまた家に帰る、という日々。兵庫と大阪の間を流れる淀川の向こう側はキラキラと輝く日常が何事もなくありました。

半年前には被災地のために活動する元気なボランティアが思いがけず被災者になりました。被災者になり感じたことは人それぞれに違うでのではないでしょうか。街の復興のために早速ボランティア活動を始められた方が大勢いらっしゃいました。避難所にいた人はルールを皆で決めて運営されていたことでしょう。けれども私の場合は無力感から抜け出せず、もどかしい毎日を過ごしていました。街のために何か活動しよう、という気力が湧いてこなかったのです。今思えばこころが想像以上にダメージを受けていたのかもしれません。

遠く離れたフィリピンの小さな町の復興のために活動していた私が、突然に災害に合うと・・・思考の停止というか心が動かないというか。被災すると、そんな風になるのだと実感します。

再び大学へ。地球環境を考える日々

阪神・淡路大震災の後、再び大学生となり開発・環境学を学びました。フィリピンのゴミ問題、地球温暖化、食糧や水問題などを学ぶうち、環境問題を解決するには自分の足元から変えていこう、という思いに行きつきました。“Think Globally, Act Locally” (地球規模で考え、足元から行動せよ)とは当時の米国副大統領アル・ゴア氏が提唱していた言葉ですが、私もどっぷり影響を受け環境問題解決のために様々な活動を行いました。

環境に負荷がかかるので肉食を止め菜食主義(ベジタリアン)になりました。当時トライアスロンという競技をしていたのですが、菜食でも充分に運動できることも自ら実証しました。卒業論文は環境問題における食教育の可能性、食べ物のいのちのあつかいについて書きました。

大学に在学中、生活提案工房という屋号で事務所を立ち上げセミナーやイベントを企画し運営しました。ラジオ番組で震災後の神戸市長田区を取材したり、ローカルテレビでゴミの行方を追う番組を提案したり。大学卒業後は有機農産物の認証団体で農産物判定委員や、啓発リーフレットなどの作成、オーガニック食品を広く知ってもらうためのイベント「オーガニックテーブル」を運営したりしていました。

震災の教訓を語るお仕事「ひと未来館」

兵庫県立人と防災未来センター「ひと未来館」のインストラクターというお仕事が私にめぐってきました。大きなイベントを終えて一息ついているときに、新聞記事でみつけた“震災から学んだ教訓を伝える展示館が新設される”とのことで、記事を見た瞬間「これだ」と思いました。

ほぼ出来上がっている展示物に意味を持たせ、何をどのように伝えるか言葉(せりふ)をつけ、来館者の動線を考えるところから現場を任せられるインストラクター6人でつくりあげました。開館後は毎日1000人ほどの来館者に阪神・淡路大震災から学んだ教訓や、地球上で生きているさまざまな生物のこと、ひとも自然の一員だ、ということなどを語り、来館者と共に命のかけがえのなさを感じる日々でした。

あまりにも一生懸命にお仕事をさせていただいていたので、私のすべてが「ひと未来館」にありました。来館者とともに「いきる」「いのち」「これから」をテーマに考え語る毎日。そんなとき地域の活動家や大学の先生から講演依頼が来るようになりました。

2007年、人生の転機がおとずれ「ひと未来館」でのお仕事から退きました。のちに「ひと未来館」は閉館。「いきる」「いのち」「これから」についての展示物は撤去され、2011年の東日本大震災の記録映像などを扱うシアターと防災の展示物に変更されました。

「ひと未来館」の閉館の知らせは心から残念に思いました。「防災」を考えるうえで、そこには必ず「ひと」がいます。人と防災未来センターを訪ねてこられた多くの人々が「ひと未来館」で過ごすうち、神戸の震災をわがこととして受けとめ考え、いま生きている自分の命を感じていたのです。私はすぐそばで来館者の変化を目の当たりにしていました。過去に起きた災害が「他人事」から「自分事」に変わる様子を毎日みていたのです。

いまは幻となった「ひと未来館」をよく知る者の一人として、あの時空間こそが、災いを防ぐために最も必要な「他人事ではなく自分事として落とし込む」ことができる貴重なものだったのだとここに記しておきます。そして、このサイト「日々防災」でわたしが記すことは、かつて「ひと未来館」で語っていたことと同じであることもお知らせしておきます。

育児中に起きたあらたな災い「病気」。

「ひと未来館」を寿退職して間もなく育児が始まりました。そして生後6か月のこどもを保育園に預けてのお仕事の依頼も舞い込みました。川西市のごみ処理施設に併設される「環境楽習館」立ち上げでした。数年前ダイオキシンが発生し問題になった大阪府能勢町と隣接する豊能町、猪名川市、川西市のごみ処理を担う施設に通勤する日々が始まりました。

震災の次に与えられたテーマはごみ。これも人の暮らしとは切っても切れないものです。ごみ処理場のイメージを覆すような、ジャズの流れるおしゃれなサロン風の施設を所長さんと数名のスタッフと共に立ちあげました。

暮らしの無駄を減らすことがゴミ減量につながります。大切なものを捨ててしまうのではなく、修理して使うことをセミナーを通して提案しました。おもちゃの修理にとどまらず家具の修理や金継ぎの技術でお茶碗をよみがえらせたり、思い出のある服をリメイクしたり・・・

ごみ処理施設の近隣住民のみなさんと一緒にサークルを作って活動したり、大規模なフリーマーケットを行ったり。わくわくするような楽しいイベントが毎日開催されました。

そんなときに第二子ができ、また職場から去ることになりました。そして第二子出産後に原因不明の体調不良がつづき、検査入院を繰り返し、わかったのが「クッシング症候群」という病でした。100万分の6人という確率でおきる奇病です。

「副腎に腫瘍ができている」と医者から告げられたときは、それが良性なのか悪性なのか、よくわからない状態で戸惑いました。突然、天から降ってきたような病。まるで災害に合ってしまったような心境でした。長い検査入院は震災後の避難生活のような気がしました。

検査入院を3回、手術入院を1回。合わせて4回の入院を経て、現在9年目です。左の副腎をとってしまったので、残された右副腎が頼りの綱です。なんとか自力でホルモンバランスを保てるようになりました。

子育てママの大敵「ストレス」により再入院!

昨年冬、わたしはストレスによりホルモンバランスを崩し入院。2週間の入院を経てだされた診断結果は「適応障害」でした。うつになる2,3歩手前でした。PTA会長の役目を安易に受けたことで様々なストレスにさらされホルモン数値がバランスを保てなくなりました。

突然に振りかかる「ストレス」により自分の「安心」「安全」が保てなくなること。まるで地震にあったときと同じような衝撃でした。その災い、とは「いじめ(パワハラ)」でした。人間関係からくる「ストレス」が病の症状を再発させ、私はまるで被災者が避難所に避難するかのごとく病院に入院しました。

避難所の体育マットの上ではなく、病院のベッドで2週間自分の身に起きたことを考えていました。そして「いじめ」は子どもの世界だけはなく、生きている人すべてに関わる「災い」だ、と心底思いました。いじめ、パワハラ問題が各界で噴出しています。そして命を落とす人もいます。人間関係の些細なトラブルが人の命を奪うことになるなんて!

サイト「日々防災」を始めた理由は

「いじめ」「パワハラ」はテレビの中だけの出来事ではなく自分の身の回りでも起きている。小学生の保護者が取り組むボランティア活動「PTA」という組織のなかでも。そして子供たちに生き方を教える学校でも。命を守る警察や消防でも・・・。もはや現代病ともいうべき状況ではないでしょうか。

私は原因不明の「病」やPTAでの「いじめ」の体験から、人為的災害や個人的トラブル(病、いじめ、ストレスなど)も「災い」ととらえ、それらを防ぐ「防災」を考えるようになりました。そして、病に処方せんやお薬があるように、人間関係からくるストレスに効く処方せんやお薬はないものだろうか、と探求しています。(いまのところヨガ、瞑想、自動書記を試しています。)

防災グッズを買いそろえるだけではなく、もっと日常の自分事から防災をすすめたい―――。それは、いつか来る大災害に備えるだけではなく、今こころが安らかに「安心」し、快適な空間の中で守られる「安全」を手に入れるために。このブログ「日々防災」がだれかの役にたちますように祈りつつ書いています。

「自主防災会」を立ち上げる心がまえ

自主防災会を立ち上げる、という課題が我がH自治会に与えられ、自治会会員の数名が発起人となり事務局も立ち上がったようです。近い将来、いつかくる災害のために「自主防災会」は必要だと思います。

しかし、ここで考えておかなくてはならないのは、価値観の違う人たちがグループをつくり、ひとつの目標に向かって進んでいく、という難しさ。災害に強いまちづくりをすすめることは住んでいる地域全体に有益です。しかし、新たな取り組みを行うことで関わる皆さんの心身にストレスを生み出さないようにしなくてはなりません。

防災活動がストレスになり、体を壊してしまっては本末転倒。新しいことを始めることには必ずストレスがつきものですが、関わる皆さんに良い刺激(良いストレス)となりますように・・・

防災士には何ができるのか。このサイトを運営しながら考えていきます。現代病であるストレスをためないよう心がけながら「自主防災会」の立ち上げと、並行して「避難所マニュアル」を作成していこうと思います。