今はなき「ひと未来館」で語るなら⑧「共感」するより大事なこと

今日、何年ぶり(おそらく10年ぶり)に阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」へ行きました。

11時45分から始まる「1.17のつどい追悼式典」にどうしても参列したくて自宅を10時前に出ました。

人防(ひとぼう、と親しみを込めて言わせてもらいます)までの道のりを車窓から見ていると、メモリアルウォークに参加されている大勢の人々が続々と“人防”を目指し歩いていました。あのとき瓦礫(がれき)と化した神戸東灘~六甲~灘。いまは商店の立ち並ぶ活気ある街並みに戻りました。

おもえば、私も震災の当日午前、この道を車で走ったのでした。

妹の就職願書締切日が17日。郵送できないから直接会社へ提出する、というので私が運転し行くことにしました。その会社は神戸東灘区の岡本にありました。いま思えば、あの日あの時、車で岡本へ行くなんて無茶な事をしたなと恥ずかしくなりますが、まさかそんな大変なことになっているとは思いもよらず・・・。

その時見た光景はいまも忘れることができません。子ども達がテレビで震災の映像をみてよく口にする“まるで映画みたいな”とうてい現実とは思えないような、そんな光景でした。

家々がつぶれている、その家のまえに寝巻のままの奥様が呆然と立ち尽くす、瓦礫になってしまった家の上で作業する男性たち、ぼこぼこと波打つような道路、信号が機能せず、交差点では譲り合いながら進みました。土ぼこりがまい、バタバタバタバタ・・・・とヘリコプターが飛んでいる・・・・(あのヘリコプターの音で、瓦礫の下にいる人の声が聞き取れなかったと後に知りました)

1.17のつどい-阪神・淡路大震災25年追悼式典-

 

式典に列席させていただき「人と防災未来センター」の見学をしてきました。馴染みのある建物。懐かしい仲間の顔もちらほら見られ嬉しいひと時でしたが、私が担当していた「ひと未来館」の展示物はほぼ撤去され、代わりに東日本大震災の記録映像や津波の展示物になっていました。

「共感」よりも大事なこと、とは?

悲しい出来事への「共感」が災害伝承には欠かせない、ということを前回お話しましたが、「共感よりも大事なこと」を今日、人と防災未来センターで過ごすうち気づかされました。

共感よりも大事なこと。それは震災がどんな被害をもたらしたのかを記録映像や資料から知識を得る、ということです。災害から得た教訓は“日本に住む人全員が知っていなくてはならない!!”ということです。なかば義務のようなものだと思いました。

災害経験のない若者や子ども達に被災体験を伝えるとき、上から目線のお説教のように教え込むのではなく、相手の「共感」を得られるように語りかけなくては伝わらない、と前回お話しました。

しかし、それ以前に、この国にいる限り災害は避けられないから絶対に知っておかなくてはならない!ということ。地震の映像や展示物を見ながら「これは義務だ」と心の中でつぶやいていました。

「でも~地震とか~津波とか~いつくるか わかんないし~別に私には関係ないし~」って言ってるそこのお嬢さん。あなたの命は、あなたにしか守れないんです。

久米宏さんがテレビ番組でこう締めくくっていらっしゃいました。

日本から災害がなくなることはない。いつ、どこで、どんな規模の地震が起きるのかは誰にもわからない。そんなところに自分が生きている、ということを知っておくこと。そして、そんなところで「生きるんだ」という覚悟をもつこと。

同感です!久米さん! 地震という事実を知るのが最優先。空想や絵空事でもない、拡大解釈でもない、地震は地球そのものの動きなんですもん。そこに私たち生きているんですもん。

積極的に地震について知りましょう。怖がらず、面倒がらずに。自分の命、家族の命を守るため。みんなと生きていくために。